ジョン・レノンとポール・マッカートニー 子育ての違い

 

ジョン・レノンは、最初に結婚したシンシアとの間にできた

ジュリアンに対しては、冷たかった。

 

 

のちにプレイボーイ誌のインタビューで、こう答えている。

 

ボクは早く結婚して、22歳くらいに、ジュリアンが生まれた。

そのあとで、ボクはビートルズで有名になった。

 

バンド活動のために、自分の部屋で、曲を書いていた。

すると、部屋にジュリアンが入って来る。

出て行け!と怒鳴ったこともある。

 

ジュリアンに、あの夜、俺が酒を飲んでいなかったら、

おまえは生まれて来ていない。

おまえは、サタデーナイト・スペシャルだ!と言ったこともある。

 

あの頃は、ボクも若く、子育てというのが分からなかった。

ジュリアンに対しては、酷いことをしたと思っている。

 

ジュリアン・レノンの回想

 

ボクは父に遊んでもらった記憶がない。

遊んでもらった記憶があるのはポール(マッカートニー)くらいだ。

 

 

 

 

巡業に行く時も、手を繋いでいるのは

父親のジョンではなく、ポールだ。

 

 

 

ジョンは、ある日、ポールに質問したという。

「どうしたら、キミのように子供と遊べるようになれるんだい?

ボクは、14歳の時に母親を亡くして、父親は行方不明だった。

親から育てられたことがないから

どうやって子供と接したら良いか分からない」と。

 

シンシア・レノンの回想録の本には、こう書かれている。

 

ジョンがヨーコと不倫をして離婚だとの騒動の最中、

ある日、ポールが花束を持って訪ねて来たの。

 

ポールは「どうだい、シンシア。ボクたち結婚しないか」

勿論、私を慰めるための冗談とは分かっていましたが

ポールの優しさが、とても嬉しかったです。

 

そして「キミとジュリアンの為に書いて来た曲があるんだ」と言って

ピアノの前に座って演奏したのが「ヘイ・ジュード」でした。

 

ジョンはシンシアと離婚して、小野洋子と再婚します。

 

二人の間に、ショーン・レノンが生まれました。

ジョンとヨーコの間には、中々、子供が授かりませんでした。

 

不妊治療を続けて、やっと生まれて来てくれた子供がショーンだったのです。

 

洋子は「子供を産むまでが女性の仕事。育てるのは男性の仕事」だと言い

ショーンの育児を全部、ジョンに任せました。

 

ジョンは、ジュリアンの時とは違い、ショーンを溺愛しました。

 

 

 

 

のちに、ショーンのラジオ番組に、ポールが出演した時

「父の作った曲の中で、なにが1番好きですか」と質問すると

ポールが「ビューティフルボーイ」だと答えます。

ショーンは笑い、ポールも笑いました。

 

「ビューティフルボーイ」は、ジョンがショーンのことを歌った曲。

どれほど、お前を愛しているかを切々と歌います。

最後の歌詞が「ダーリン・ショーン」でした。

 

ポール・マッカートニー

 

ポールは離婚歴がある女性、リンダ・イーストマンと結婚します。

リンダには「ヘザー」という女の子の連れ子がいました。

 

 

ヘザーは、ポールの養女になりました。

ポールはヘザーを実の娘のように可愛がりました。

 

ポールは、リンダとの間に、3人の子供を授かりました。

 

次女のメアリー

 

三女の「ステラ」

ファッションデザイナー

彼女のブランド「ステラ・マッカートニー」がある。

 

 

残念な長男「ジェイムズ」

 

 

リンダが亡くなると慰謝料でゴネまくった女

「ヘザー・ミルズ」と再婚

 

離婚する際、慰謝料として、115億円を要求。

当然、裁判となる。

あまりの強欲さに、ヘザー・ミルズの父親が

いい加減、ごねるのはやめろと言うくらいの女だった。

59億円で和解だと、検索して分かった。

この女は、この慰謝料を、3年で使い果たしたという。

 

この女との間に生まれたのが「ベアトリス」

 

父親に、そっくりだ。

 

 

この娘「ベアトリス」も痛い

 

ポールは、また再婚する。

「ナンシー・シェベル」

彼女が所有する純資産は約500億円だという。

金に汚い「ヘザー・ミルズ」とは違うと予想する。