榎本三恵子「ハチの一刺し」

 

なんだか変な思い出がある。

 

 

それは「榎本三恵子」という女性だ。

 

ウィキペディアから引用しよう。

 

榎本 三恵子(えのもと みえこ、1948年7月4日 - )は、

田中角栄元総理大臣の筆頭秘書官であった榎本敏夫の元妻。

 

1981年10月28日、東京地方裁判所で開かれた戦後最大の疑獄事件と言われるロッキード裁判丸紅ルート公判で検察側の証人として出廷、

田中角栄被告の5億円受領を決定的に裏付ける内容の証言を行い、

日本中を騒然とさせた。

 

また記者会見でのマスコミとのやりとりから出てきた「ハチの一刺し」という表現が

話題になり流行語にもなった。

 

その後、突然雑誌に自身のヌード写真を披露したりした。

 

証言に際しての覚悟は? 

 「蜂は一度刺したら死ぬと言うが、私も同じ気持ちです」

と締めくくった。

 

この台詞は流行語にもなって、

以後、榎本三恵子を語るときは

必ずハチの一刺し、女王蜂、女バチというキーワードがついて回ることになる。

以上

 

 

この女性が、ペントハウス誌でヌードになったのである。

 

 

この画像は、あまりにも有名になった。

この女性のヌードになんか興味もない人をも驚かせた。

 

私の友人は「婆の裸なんか誰も見たくなんかない」と言った。

 

 

後に週刊平凡誌のインタビューで

「あんな告発をしたのだから、身の危険を感じた。

あの人の(田中角栄)の闇の力で暗殺されるかもしれないと思った」

そう答えている。

 

さらに

「ヌードやテレビにでたりすることで、世間で私は注目され

国民に私の存在を知らせることができる。

そうすれば、私を消すことが難しくなるだろうと思いました」

そう語っている。

 

ウィキペディアから引用

榎本敏夫が自白した直後に田中角栄の運転手で、

幹事長の時は榎本敏夫の担当運転手であったKが自殺しており、

Kも検察庁から取り調べを受けていた。

 

どこまで本当で、どこまでリップサービスのか分からないが

その週刊平凡誌での発言を読んだ時

なんとなく、そうかもしれないと思ってしまった。

お恥ずかしい限りである。

 

なんとなく、日本版「ウォーターゲート事件」のように思えたからだ。

 

 

彼女は「オレたちひょうきん族」などに出演して

変なオバさんとして世間に認識された。

 

 

 

これも「昭和」という時代だったのかと思ったりする。

 

この記事は、あくまで、私の感想です。

間違えている点が多くあると思います。

ご了承おきください。