映画「乱」黒澤明

黒澤明監督作品「乱」

 

この映画の良さを理解するのに、20年掛かった。

 

何を言いたいのか、さっぱり分からなかった。

 

 

まず「狂阿弥」を演ずる、ピーター(池畑慎之介)が

どうにも好きになれなかった。

 

蜘蛛巣城 」に通ずる様式美だとは分かった。

蜘蛛巣城 」は、シェイクスピアの戯曲『マクベス』であり

且つ、「乱」は、シェイクスピアの悲劇『リア王』を元にしている。

 

 

「乱」を理解すべき、ヒントを与えてくれたのが

映画「影武者」の撮影ドキュメンタリーの時に

インタビューに答えた黒澤明の言葉

 

 

「影武者」は、娯楽の映画でしょう。

次回作は、今の世界の実情と、人間の生き方

そのようなものに対する、僕の意見を述べたい。

そう語っている。

 

 

普通は「監督、この作品は何を伝えたいのいですか?」

などの質問に「それは観る人が決める事でしょう」と

何を伝えたいか、話さない人だった。

それほど「乱」という作品に命を懸けていたのでしょう。

この時、黒澤明は、75歳。

 

この映画の特筆すべき配役は

「楓の方」役に、原田美枝子を起用した事だろう。

当時、彼女は、25歳。

 

 

蜘蛛巣城」の、山田五十鈴のような演技がしたいと思ったと言う。

彼女は、どのようなメイクをすれば良いのだろう?と

メイク担当者と話し、大げさなメイクにしたと言う。

 

黒澤明

「メイクで芝居されたら困るんだよ。全部、落としてくれ」

そう言う。

 

 

そして、能面の泥眼のような、メイクになった。

 

 

一文字家を、滅ぼす為に、長男を唆す。

 

長男が、暗殺されると、次男を唆す。

 

 

そして、二人きりになり

兄の亡骸の兜を渡す振りをする。

 

 

楓の方は、次男を調略しようと思っていたのだ。

 

 

兜を渡そうとする振りをし

 

 

首筋に刀を押し付ける。

 

 

ここから、黒澤明は、女の怖さを冷徹さを描く。

私は夫を殺されても何とも思わぬ。

髪を落とし、尼になるのは嫌じゃと叫ばせる。

 

 

首筋につけた刀傷を舐めるのだ。

 

 

そして、女を武器として、次男を調略する。

 

 

 

そして、一文字家を、取り壊す。

 

鉄修理から

女狐め、 よくも殿を誑かし 今こそ思い知ったか 女の知恵の浅はかさを

と言われる。しかし、楓の方は

女の知恵の浅はかさではありませぬ。

我が一族を滅ぼした、この城で

一文字家が滅びるのを見たかったのじゃ、と言う。

 

 

そして、鉄修理に首を切り落される。

 

 

 

呆然とする、次男の「一文字次郎正虎」

 

藤巻の軍勢により、城は燃やされ、完全に一文字家は滅びた。

 

 

この映画は、黒澤明が持つ、様式美の究極だと、私は理解した。

そもそも、黒澤明の描く女は、おどろおどろしい。

羅生門でも同じであった。

 

 

戯曲に意味を求めても仕方がない。

クラシック音楽を聴く時のように

映像美を感じれば良いのである。

 

それに気付くまで、20年の歳月を必要とした。