祖母脳卒中 介護保険制度 リハビリ

祖母がトイレで倒れた。

 

救急車で、急性期病院に運ばれた。

 

医師が、今夜が山です、と言う。

このまま、何もせず、様子を見ますか?

可能性に懸けて、延命治療をしますか?

成功率は、かなり低いです。

そう尋ねてきた。

 

父は「そのままで」と言った。

私が「お願いします。祖母を助けてください」と言った。

後になり、それは、私の間違いだったと後悔することになった。

 

祖母は、奇跡的に助かった。

1週間ほどで、ICUから、リハビリ病棟に移された。

 

それから、2週間後には、驚くような回復をした。

普通に話せるようになった。

麻痺しているはずの、手や腕が動くようになっていた。

 

理学療法士作業療法士言語聴覚士による

リハビリのおかげである。

 

しかし、リハビリ病棟からも

長期間は、入院できないので、転院を、お願いしますと言われた。

 

自宅から、車で、10分程度の所にある滞在型病院に入院することになった。

 

まだ「介護保険制度」ができる前だったので

ビニールのつなぎ服を着せられた。

身体拘束もされた。

 

リハビリ病棟で、あれほど回復したのに、

滞在型病院には、理学療法士作業療法士もいなかった。

 

動いていた手、腕が動かなくなって行く。

だんだんと話せなくなって行った。

なぜなら、リハビリをしないからだ。

 

姥捨て山のような病院だった。

 

病院から電話があり

「お風呂に入っている時、立ち上がられて、倒れました」と。

 

病院に行くと

顔や手が内出血していた。

病院は、祖母が、急に立ち上がられたので、

事故を防げませんでした。

という保身の為の言い訳。

 

三度の食事と、おむつ変え以外は

放りっぱなし。

 

平成12年の介護保険制度の施行時から対応が劇的に変わる。

ベッドや車椅子に縛りつけるなど身体の自由を奪う身体拘束は、

介護保険施設の運営基準において、

身体拘束を行ってはならないとなった。

 

ビニールのつなぎ服の使用は禁止になった。

それまでOKだったことが、禁止となった。

 

食事は、ベッドに置いたテーブルに食器を置き

あとは何もせず、時間になれば、片付ける。

 

介護保険制度の施行のあとは、

食事室や、レクレーション室が必要となった。

 

病院は、慌てて、リフォームをした。

 

しかし、放っておかれた祖母は、

何も話せず、麻痺していた身体の右側の手、腕は固まってしまっていた。

 

介護保険制度の施行が遅すぎた。

 

そして、口で食事ができなくなったので

胃ろうにしますね、と承諾も何も取らないで

チューブが差し込まれた。

 

そして、話しかけても応答が無くなり、

話すことも無くなった。

 

うー、うーと、唸っているだけ。

まるで、植物人間のようだと、そう感じた。

 

このままでは、可哀そうなので

胃ろうを抜いてください、と言うと

胃ろうは、法律で、簡単には抜けないんですよ。

殺人罪となるんですよ、と。

 

祖母は、植物人間状態で、死なない為に生きている状態となった。

鼻には、酸素チューブ。

 

あの時、父が言ったように

延命治療はしなくても良いと言うべきだったと後悔した。

 

私は、家内に、こう言った。

もしも、私が病気で倒れた時、

延命治療などしないでほしい。

胃ろうなんか、絶対に拒否してくれ、と。