豚骨ラーメン・エトセトラ

豚骨ラーメン

 

 

福岡、豚骨ラーメンと、熊本、豚骨ラーメン。

福岡ラーメンではなく、久留米ラーメンとも言います。

理由は、豚骨ラーメンの発祥の地が久留米と言われているからです。

 

ネット情報だと、久留米の「南京千両」が始めたらしいです。

 

熊本ラーメンの発祥地は、玉名市にあったラーメン屋さん。

かなり昔に、テレビで見た情報なので、細かい所は忘れました。

 

その店主が、テレビの取材を受けていて、

久留米のラーメン屋さんに弟子入りして、

何年か経って、師匠から独立しても良いと言われた。

 

その人は、生まれが、玉名だったので、玉名で開業しようと思ったと。

しかし、そのまま久留米ラーメンを作って売っても

オリジナリティがない。

久留米のラーメン屋には勝てない。

 

そこで思いついたのが、ニンニクを油で炒めた「マー油」と使う。

そうすると、豚骨ラーメンの臭さが取れる。

さらに香ばしいニンニクの香りで食欲をそそると。

そのマー油が好評で店は繁盛したと。

 

そのテレビ番組が、久留米から玉名にかけて調査をする。

どこから「マー油」を使う店があらわれるのか。

 

昔、見たテレビ番組なので、地名はおぼえていません。

取材班が「あ!ここで、マー油を入れる店が多くなった!」と叫ぶ。

 

つまり、久留米ラーメンと玉名ラーメンの境界線を探ったというもの。

 

西日本新聞の記事によると

 

熊本県で初めてのラーメン店は、

1952年に福岡県久留米市から進出した「三九」とされる。

白濁豚骨発祥の店で、店主の四ケ所日出光さん(86)が

熊本県玉名市に支店を出し、その味を伝えた。

 

翌年白川大水害が起き、間もなくして店に3人の若者が訪れる。

その1人が「こむらさき」を創業した山中安敏さん(故人)である。

 

「『玉名にうまいラーメンがある』といううわさを聞きつけたようです」

安敏さんの長男で2代目の禅(しずか)さん(62)はそう語る。

 

禅さんによると、同行したほかの2人は、

宮崎出身の安敏さんの友人である木村一さん、台湾出身の重光孝治さん。

3人は熊本市で不動産、中古車販売業などで生計を立てていたが

水害で立ちゆかなくなった。新たな商売と見定めたのが、ラーメンだった。

 

私が見たテレビ番組に、かなり近い内容の記事。

 

 

 

 

「三九」を訪れた3人はその後、熊本市に戻り、

熊本ラーメンの歴史をつくっていく。

 

木村さんは、「松葉軒」を創業。現在は閉店している。

 

 

 

 

重光さんは「桂花」をへて、

 

 

今や全世界に店舗展開する「味千ラーメン」を立ち上げた。

 

 

 

こんなところです。情報錯綜です。

正直言うと、分かりません。

興味がある人は調べてください(投げ遣り・無責任)

 

福岡の屋台街にある、一軒の豚骨ラーメン屋さんが、

テレビで紹介されました。

 

ラーメンの替え玉をする時、

お客さんの、どんぶりに、替え玉麺を投げて入れるというもの。

ここは行きましたよ。

30年くらい前に。俺はいくつだよ。

 

その替え玉のシーンを見ました。

麺を投げるところまでは良いのですが、

スープが入っている、どんぶりに麺が入るわけですから、

スープが、バシャーっと、飛び散るんですよ。

 

替え玉を頼んだ人も、隣に座ってる人にも

スープがかかる。

 

本人と隣の席の人は「ぎゃぁ~」と言いながらも喜んでいる。

 

俺は、そんなの、まっぴらごめんだぁ~と、

ラーメンを残したまま、料金を払って出た。

 

身も蓋もないことを言えば「不味かった」

替え玉を飛ばすくらいのパフォーマンスをしなければ、

客なんて来ないと思った(失礼)

 

高速道路を走って、メッチャ高い駐車場代を払って行って

くそ不味い(失礼)ラーメンを喰わされた日にゃ、

泣くにも泣けない。

 

博多の駐車場は、1分いくらですよ。

そんな所に停めず、

距離は離れますが、安い駐車場に停めて、

地下鉄で行けば良い話だったんですけどね。

 

ちなみに、私は「チャーシュー」が嫌いなので

「チャーシュー」は、全部、嫁さんにあげます。

 

嫁さんは「チャーシュー」大好き人間なので

「チャーシュー大盛ラーメン」になると喜んでいます。